山田さんご夫婦とは、島の人々がよりいいミカンと作る為にどうゆう努力をしているかや、跡継ぎ、輸入製品があると、太刀打ち出来ないといった細かいお話まで出来て私達は今の地方の在り方、どうなっていくのかなど考えさせられた。
その次の日我々は、お寺の住職さんの所へ行きお礼をし、午後の便で一度三津浜にもどり、公園で野宿。次の日も文句なしの晴れであった。次の行き先も大体決まっていた。
怒和島(ぬわじま)だ。何度も言うが我々がこの島にいく!と決める定義の様なものはない。ただ、面白そう。孤立している。名前が変わってる。そんなところである。
朝起きて、港へ向かった。すでに20合あったお米も残り1合である。食事が出来る所があればそこを利用しない手はない。今回の旅は本当に外食が少ない。入った食堂で、お進めは新鮮な鯵と言われながらも、ラーメンを頼み(どうしても麺類が食べたかった) 、結局我々がひもじいことを知った食堂のおばちゃんはメニューにないのに、サラダを作ってくれ、鯵のソテーまでくれた。幸せな一時だった。
旅に美味しいご飯はかかせない。わかっちゃあいるが、食堂も民宿も無いんじゃどうしようもない。釣りの心得があればなあ。
と、波に揺られること1時間強で、怒和島についた。
つづく
0 件のコメント:
コメントを投稿