明くる日、お昼の12時に新田さんが、別荘に迎えに来てくれて三人でスザーンさんが住む輪島方面に向かった。
車で向かうこと約30分車酔い防止の為私は車中体を横にして寝ていた。さあ、着きましたよの声で体を起こし、前方をみると家らしきものはない。
言われるがまま歩く、あと2歩間違えると川に落ちそうな道や、階段らしきものなど、まるで注文の多い料理店の本の中に紛れ込んだような気分で歩いて行くこと5分、こじんまりとした小屋があった。家というより小屋という表現が正しい。
こんにちは! と元気良くドアを開けると奥から紛れもない、外人さんが出てきた。英語で話すべきか否か。と悩んでいるうちに向こうが上手な日本語で挨拶をしてきたのでひと安心。
のち、イギリス人の旦那様も加わり四人で席についた。
部屋の回りを見渡すとそこら中に綺麗に輪島塗なのだが、一味も二味も違う作品がディスプレイされてある。
スザーンさんに聞きたいことは山ほどあった。なぜ輪島塗に興味をもったか? どうやって学校を探したのか? なぜ、3か月くらいでイギリスに帰るつもりが20年以上、しかも輪島に滞在しているのか?日本にいて旦那さんとどうやって知り合ったか?
などなどである。まあこういう類いの質問は著名なスザーンさん、会う人会う人に聞かれているだろうと思ったが質問せずにはいられなかった。彼女はテレビにも出演するし、全国で講演会、関東のデパートや画廊で個展を開くなどとても有名な方であるが、それゆえに取材は自分で選んで受ける。断ることも珍しくないそうだ。そんなスザーンさんに我々が会えたのも、彼女と新田さんの信頼関係が厚いということに尽きる、新田さんなくしてはこの出逢いはなかった。
そしてこのちょっと古い小屋の訳もすぐに解明した。実はここ牛小屋を改築、いや改造したのだそうだ。よく見ると柵のようなものが残っている。
今でも水は山から流れてくる水、テレビもない、電気も通っていないそうだ。
軽い雑談のあと、3時間たっぷり4人で話し込んだ。
スザーンさん、輪島塗の素晴らしさに魅了され、一人で日本へやってきた。なんの宛てもなくだ。新田さんとは、住む場所を相談しようと役場に行ったときに丁度相手をしたのが新田さんだったそう。そこから10年以上交流があるという。このアトリエ兼家も新田さんはじめ仲間で、作り上げたそう。
そこから、輪島塗習うならベストな人から教えて欲しいと考え人間国宝がいる研究所に入った。輪島塗には9つの工程があり、漆をぬる人、蒔絵を書く人など。普通は例えば塗師ならその道を極め他の工程はやらないのだがスザーンさんはその九つの工程すべてをマスターしなければ意味がないと考えそこから厳しい修行の道を進んだ。
そして、イギリスの人と結婚し、日本で子供を育て今に至る。
日本人のほとんどは輪島塗や他の高級な食器や漆器を一年に一度や二度、大事なイベントの時にしか使わない。それに加え、これは汁椀、これは茶碗など、汁椀には汁しかいれない。茶碗にはご飯しか入れない、お菓子を載せるお盆に他のものをいれるのは変など。
スザーンさんいわく輪島塗はじめ漆器は沢山使って、はげて味がでるのだ。それに、これにはこれを入れなきゃいけないなどという固定観念も捨てた方がいいんじゃないか。この漆器にイチゴいれても可愛いんじゃない? お菓子入れに果物置いたっていいじゃない?どうして?どうして日本人は決まったところに決まったものしかいれないの?
なるほどそういう考え方もある。そういったお話からちょっと突っ込んだお話、今輪島塗が売れない理由。など、話題はつきない。今の時代、輪島塗が売れないというものの彼女の場合はお客さんが3年待たされているくらい人気があり売れている。彼女の作る輪島塗と、他の人が作る輪島塗。違いは何なのだろうか。そこに何か商売のヒントがあるかもしれない。
スザーンさんとの3時間すべてを書くと、色々ありすぎて書ききれない。それに文章力がない私、自分が感じたことを書きたいが読者に上手く伝わらないほどショックなことはないし、私のつたない紹介でスザーンさんが理解されても困るのでここは思いきって割愛する。
ただ、これだけは言えるのだが、彼女は考え方が凡人とかけ離れている。どこかの大企業の社長さん、先見力があり並外れたことをする。そういうタイプでもない。どちらかというと違う世界から紛れ込んだ宇宙人(笑)神様と交信できている人かもしれない。。
なんだか腑に落ちない終わりかただが是非とも「スザーンロス」をインターネットで検索してみてください。
生きるヒントが見つかるかもしれません。
今夜は牡蠣炭焼き会で、明日は牡蠣祭りだ!!
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