2010年10月24日日曜日

三度目の正直





二日間待ちぼうけをくらった私達は運命の3回目。念のために漁港に電話をし出航するか確認のうえ乗り場へ向かった。
いや~長かった。実に長かった。食料を買い込みいざ乗船!!


舳倉島はバードウォッチングで有名な島だ。渡り鳥が、中国やシベリアから飛び立ち、次に向かう最初の休憩所が舳倉島なのだ。そのような理由で珍しい鳥が沢山いるらしい。同じ船の中にイギリス人のカタツムリ研究家や、地質の学者なども乗船。他みんなほとんど全員、どでかいレンズだけで何十万円もするカメラを持参していた。


さあ、舳倉島についた!!船を降りると、日焼けしたおばあちゃん、おじいちゃんが、荷車をもって待ち構えていた。やや??出迎えか!!とおもいきや、我々にはなんの興味ももたず、何やら何かを待ちかまえているようだ。
食料、ビール、調味料などわんさか船から出てきて、みな、荷車に詰めそそくさと去っていく。なるほど。この船は、波乗りスーパーマーケットなのだ。郵便屋さんも乗船していて、島の住人(70にんほどに用を足すのだ。
のっけから、感心させられた私らは、島を散策。外周約4キロなのですぐ終わってしまうが、島の人の話を聞くと実に興味深い。だいたい住人は70歳以上のお年寄りだが、みんなピンピンしている。生まれが舳倉だから、ずっとここにいるんだな~と勝手に思っていた私だが、実は輪島や、その他街にみな家があるのだ。好きでこの舳倉にきて、春は昆布。夏はまた何か(すいません夏に何をとるか聞いたけど忘れてしまいました)今の時期は、かじめ(海藻の一種)、冬はお休み。という風に海に潜り、畑を耕し、(大根、那須、とうがらし、カボチャ、大豆、みかん、その他)自給自足の生活をしているのだ。
舳倉島の一般的な民家















驚いたことに、島の診療所はガラガラである。東京の病院は、お年寄りが沢山いて、診察を受けるにも半日かかるのが常だ。よっぽど、この島のお年寄りの方が、ピンピンしている。朝早く起きて、漁へ出て、かえって来てから畑仕事。みな、自分達の為に、働き生きているのだ。ただ、もしかしたら舳倉島はいず無人島になるかもしれない。何故なら、子供が一人もいないのだ。学校は10年近く休校。やはり、みな、高校は輪島や金沢に行くらしい。

休校が続いている学校。校庭には草が伸び放題である











ここで、日本の地方の縮図を見た気がした。





次の日も朝から島を探検し、輪島へと向かった。



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